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渇K三郎こけし
(製造・卸し・直売)
(群馬県こけし協同組合事務局)
〒370-3501
群馬県北群馬郡榛東村長岡1591
TEL0279-54-6766
FAX0279-54-8684
お問合わせ・ご質問
E-mail info@usaburo.com
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| 明治43年春総社町植野1番地に元祖関口専司翁の手によってロクロ工場が開業されましたが工場と言ってもロクロの回転は足ぶみ式で、その仕事は大変な労力と技術を要するものでした。 大正12年現在の動力線が入り、モーターに切り替えた近代的な動力工場が創設され、量産体制にはいると、新しい産業を志す者が次第に増加し、同工場にて養成された人々が相次いで独立、総社玩具の名声は全国各地に及び、重要産業と認められました。 昭和9年には関口専司翁の作品は天覧並びにお買い上げの栄を賜りましたが、昭和14年新産業の創始者として惜しまれつつ60歳で病歿しました。 翁からの技術を習得した先輩工人はコマ・日月ボール・ママゴト道具などの玩具を生産していましたが、不幸な大東亜戦争に突入すると、この平和産業を継続していくことは不可能となり、終戦を迎えるまで休業を余儀なくされました。世の人々が戦争で受けた傷あとを忘れようと平和な生活を求めて躍動し始めた昭和23・24年頃、群馬のこけしが平和の使者のごとく誕生したのです。 この頃のこけしは、子守りこけし・ひょうたん型こけし・木の皮のついたキネ型こけし・丸型こけし・一般山水こけし・名所風景入りこけしなどが主なもので、風変わりなものではカッパこけしやタヌキこけしなどが各工場で生産されていました。 発祥時のこけしと現在のこけしの相違点に付いてですが、初期の頃の木地の特徴は首に工夫があり、顔が自由に回転するため愛好家の方々に大変不思議がられよく質問を受けた事が思いだされます。 彩色の特徴は特に顔にありました。現在のこけしの大半は目と口で顔の表情を出していますが、当時のこけしは眉毛・目・口、特に鼻は胡粉で高く盛り上げた写実的なものでした。また当時のこけしは生産の8割から9割がアベックこけし(組)であり、こうした傾向は以後15年間以上も続いたように思います。 この間、こけしは益々の人気を集め、こけし業者は、渋川市・群馬町・吉岡町等に広がり、やがて総社町・前橋市・渋川市・群馬町・吉岡町の業者を統合した「前橋挽物玩具協同組合」が設立されました。 更に現在の「群馬県こけし協同組合」に名義変更されたのは昭和32年6月のことで組合員約100社、初代理事長石田完治氏が就任致しました。 話はさかのぼり昭和36年第1回の県こけしコンクール並びに見本市が前橋市にて開催されました。当初は各自の作品にあまりオリジナリティーは感じられませんでしたが、私達は絶えずこけしの高級化を願い、次第に大作が生産されるようになりました。 表現方法も写実から抽象的な表現へと徐々に変化して行き、各自の作品も独創的な感覚を養い、さらに当コンクールに昭和49年通産大臣賞・農林大臣賞、昭和51年内閣総理大臣が設けられ、私共業界に大きな目標と励みを与える事となりました。 私共は次の目標として、群馬のこけしコンクールで学び得た技術を基盤に、宮城県白石市の全日本こけしコンクールや東京で開かれる全国展などに多くの作者が挑戦してその実力を十分に発揮し、輝かしい賞の栄を賜っております。 戻る |